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NO20-3『義母の最期を迎えて、後悔と感謝の介護を振り返る』

被介護者 義母 88歳  介護度2      介護者  嫁 58歳 

 

平成18年、義父の介護が始まり令和2419日、義母が亡くなりました。

 

私の介護が一応終わりとなりました。

 

これまで色々なことがあったと振り返る良いきっかけとなりました。

 

まだまだこれからいろいろなことがあると思いますが、一応の区切りをつけるために書きます。

 

 

 

 私は、ここに嫁に来て今年で34年になります。

義父の介護が始まるまでは嫁姑問題で大変な思いをしてきました。

しかし、義父の介護が始まり全て私がやるようになってからは義母との関係は一気に変わりました。

不思議なものですが、私自身「義父のお世話をするのは私」と決めた瞬間から義母の態度が一変しました。

なぜかわかりませんが、そのおかげでとても関係は良好になり、

親子のように見られるぐらいになりました。とても義母に感謝しております。

 

 

 

 

 それでも、アルツハイマー型認知症の診断を受けてからは、

私自身も初めての事でいろいろな不安に押しつぶされそうになりました。

家の事や、家族の事本当に色々なことが頭の中をよぎりました。

特に義母の事をどのように介護していくかが最大の悩みとなりました。

 

 

 

私は器用な人ではないので、“義母の介護をしなくては”と思うとそちらが優先的になってしまうので

どうしても子供の事が後回しになってしまいました。

しっかりと進路の事や生活の事を考えてあげなくてはいけないと思っても

中々、自分自身に余裕がなく介護優先の日々になっていたと思います。

義母との関係が良いと言っても人間ですからやはり腹が立つこともあり、

その時は少し離れて時間をおいてからの対応をしていました。

今日一日何とかしようと考える毎日でした。

 

 

 

 

 義母がデイサービスに通い楽しそうにしているのをほほえましく思っていましたが、

その反面私の生活は無く、いつも追われるような日々でした。

とにかく楽しく日々の生活をして貰いたくて、朝起こす事から始まり着替えさせて送り出し、

その後は掃除・洗濯あっという間のお昼、少し休むと夕飯の支度そしてお迎え、

帰ってきてから着替えとご飯、それから寝るまで見守り、

夜中は2時そして4時にトイレがあり突然わからなくなって私の所に来るので、

その時間は大体起きていました。

朝は4時に起きた時にそのまま朝の支度を始めていました。

今考えると何をしていたのだろうと思います。

 

 

 

 昔の義母だったら言わなかった言葉で私に“ありがとう”と言ってくれましたので、

私も出来ることはやってあげようと頑張りました。

そのおかげで、認知症になると一番大変なお金の事で困ることが一切ありませんでした。

これは介護者にとっては大変ありがたいことですが

その分私自身がいつもわけのわからない不思議な毎日だったと思います。

 

 

 

 

 義母の認知症が進み始めたころ“ほほえみの会”を先生に紹介していただき出席しました。

 

介護卒業生、現役の介護者でも自分の親・舅・姑・ご主人・奥様・施設に入所した方と

色々な方がいらっしゃりとても参考になりました。

 

その空間で色々な困りごとの相談をしたり聞いたりと私にとっては、唯一話のできる場所でした。

どれだけ助けになったことか。

 

ここで、“頑張らない介護”ということを教えて頂きましたが、その時の私は、

義母に尽くす事のみで生活をしていたので、どうしたら良いかわかりませんでした。

 

 

義母の生活のすべてをサポートし、夜は少しでも自分の介護が楽になるようにと足湯を

毎晩やったりしていましたので、どうにもなりませんでした。

 

そのため、何をやめて何を残すか考えてもどれも必要と思い今までと同じことを夢中になってやっていました。

それでも、介護をしているという同じ仲間の元で得られたものは

とても自分にとって素晴らしい宝物となって要る気がします。感謝の気持ちでいっぱいです。

 

 

 

 そうこうしているとき、私自身は特に気がついていませんでしたが

限界が来ていることをケアマネさんから言われ自分を見直すきっかけを作って頂きました。

介護は先が見えません。自分の体力も半年後はわかりません。 

 

 

義母がまだ自分の事がある程度できるうちに施設を考えることの大切さを話していただき、

家族で話し合い施設の事を考えるきっかけとなりました。

家族も義母を施設に入れることを快く了承してくれました。

それからケアマネさんに同行していただき沢山見学をして決めました。

まだまだ自宅で介護することが当たり前の現実から別の方向に進むわけですから大変葛藤がありましたが、

これがとても義母にとって良い方向に向いてくださりちょっと距離のある介護に変わりました。

 

 

 

 

 最初はサービス付き高齢者向け住宅(サ高住)でお世話になりました。

そこでも、施設の方もとても良く義母のサポートをしてくださったお陰でお友達もできて楽しく過ごしておりました。 

大腿骨頸部骨折をした時も早めに退院しその後もリハビリをしてくださったお陰で寝た切りにならずに過ごすことができました。

 

私も、一日おきに義母の洗濯物を取りに行き部屋の掃除をし、1時間ほど一緒に過ごしました。

「来てくれたの、ありがとう。」から始まって、帰るときは「気を付けてね」で終わることのできる、

楽しい介護となりました。

色々な話もし、一緒に体操をしたり脳トレをやったりと楽しい時間がもてました。

それでも、だんだんと認知機能のレベルは下がってきました。

 

 

 

 

風邪をひいたことがきっかけで、段々と出来ないことが増え、新規のサービス付き高齢者住宅でしたが、

初めは定員の半分も入っていなかったのに年々入所者が増え、

義母の介護はだんだん細かいところまで行き届かなくなってきたことを感じ、

認知症グループホームを探し始めました。認知症グループホームは前施設とは全く異なり、

小規模の所を選んだお陰でいつでも人の声がし、介護士さんの目が届き

言葉もかけて頂く機会も増え、義母も一時期より元気なりました。とても嬉しかったです。

 

 

 

私としても、前施設の時と違い、「自分を大切にするように」との施設側からのお話で、

週一回のペースで会いに行くこととなりました。

それでもだんだん認知機能・体力のレベルが落ち、

歩くこともままならなくなりベット上での生活が多くなりました。

 

 

 

 

昨年5月に風邪をひき、一時はどうなることかと思うほどになりましたが、

介護士さん・訪問看護師さん・主治医の先生のおかげで、何とか危機を回避することができましたが、

寝たきり状態になってしまいました。 

それでも、なるべく食事や気分の良い時は車いすに乗りリビングで生活をさせて下さりました。

 

 

 

 

2回目の風邪でまた大変な時が来ました。その時に初めて、今後の介護をどうするかを主人と話しました。

延命治療をするかそれとも自然の摂理に任せるか。この選択は本当に悩みました。

ただ、元気な時に義母が話していたことを思い返し、自分だったらどうか?と考えたり…、

試行錯誤をしましたが<延命はしない選択>をとりました。

 

そのことを、主治医の先生にもお伝えし、施設にもお伝えし、私達も改めて義母の事を考えた日々でした。

 

 

 

 今年に入って、食欲も少しは出てきたようですがやはり以前のようにはいかず、どうなるのかと思っていました。

そんな毎日を過ごしているとき、新型コロナウイルスの流行が始まり、

施設を訪問することを控えなくてはならなくなりましたが、

うちの場合は施設側の特別の計らいで少しの時間でも面会させて下さいました。とても嬉しかったです。

 

 

 

 亡くなる一か月前の事です。義母から「私はいつになったら死ねるのかね?」と言われました。 

私は答えに詰まりましたが「お迎えがなければ逝けないよね」としか言えませんでした。 

その時初めて、今まで私がやってきた介護は自分のエゴだと気がつきました。

そうしたら、その後は、義母の思う通り、食べなくなったらそれでよし、

水を飲まなくなったらそれでよし、と思えるようになりました。

 

 

 

 

主治医の先生・訪問看護師さん・施設そして家族ととても良い連携ができ、家にいるような介護をして頂きました。

このようにできたのも主治医の先生のご理解があったことが一番だと思っております。大変感謝しております。

 

 

 

 

 亡くなる三日前から夜、義母の所に行き暫く付き添わせていただきました。

話しかけると目を開け笑顔を見せてくれ最後の最後まで私がいる間はしっかりと反応して下さりました。

 

「施設長と共に笑って話をしているとそれを聞いている義母が笑顔で答える」そんな嬉しい時間を頂けました。

新型コロナウイルス感染拡大の時にこのような対応をとって下さった施設長に感謝しています。

 

 そして、いよいよ義母の最期となりました。朝が早いのに主治医の先生まで来てくださり、

訪問看護師さん二人によるエンジェルケアをして綺麗に身支度を整えて頂きとても嬉しかったです。

ありがとうございました。

 

 

 

 最期を迎えた義母を家に迎えてから、走馬灯のように色々あったことが思い出されました。

 

夜中に起こされて辛かったこと。季節の変わり目には必ず「デイサービス行きたくない病」になったこと。

夜中に突然不安になり私の所に来た事。 数えられないくらいの事を思い出しました。

家族で今ではそれも笑って話すことができる良い思い出になりました。

 

 

 

 

 最後に、私は「アルツハイマー型認知症の患者は何もわからなくなり、反応もなくあっけなく終わりになってしまう」

のかと思っていました。 

でも、そんなことはないことが分かりました。どんなになってもやはり自分の事はわかっている。

周りの事も理解している。人間としての尊厳は、最後までしっかりと持っている。

それを私にしっかりと教えてくれた義母に感謝の気持ちでいっぱいです。

「病気がそうさせている」と思ってもなかなか理解できないこの病気です。

「気持ちに寄り添った介護を」と言われてもなかなか現実は思い通りに行きません。

何かを犠牲にしなければできないことです。でも、必ず最期が来ます。

そのときに、たとえ後悔する事があってもいいから<感謝のできる介護>ができるような

世の中になってほしいと思います。

 

 

 

こんな私を理解し励ましてくださいました主治医の先生・ほほえみの会の皆様方に感謝と共にお礼を申し上げます。

ありがとうござました。

 

 

 

 

 

 

[木野理事長コメント]

コロナ禍で緊急事態宣言が全国に発出された二日後に

長年介護してきた義母の旅たちに遭遇したM.Tさんに先ずは

「お疲れ様でした」と心よりお悔み申しあげます。 

また、未だ<喪の儀式>が完全には済んでいないこの時期に

「一応の区切りを付けるため」長文をお寄せ頂いたことにお礼申し上げます。

 

 

 

義父の介護・看取りにひき続いて義母の介護がはじまり、

子育てを脇に置いて介護一筋の生活に埋没していく自分を振り返り、

「ほほえみの会」との出会いで少し余裕を持ちながらも

週に1回は面会を優先順位の最上位に置く生活、

 

 

それでも着実に進行する認知機能障害、

それに追い討ちを掛ける加齢による体力の低下、忍び寄る終末期、

そして最期の時を迎える日までを振り返り、「感謝」の言葉を5回も繰り返しています。

 

 

 

介護生活を通じて色々な人との出会いがあるのですが、

優秀なケアマネに出会ったことは幸運だったと言えます。

サ高住に私が訪問診療に行くと必ず私の診療に立ち会っていましたが、

そう言うケアマネは数少ないです。在宅介護から施設介護へ時期を身定めてアドバイスした上、

施設探しに5軒6軒と付き合ってくれたと聞いています。

 

 

 

ほほえみの会では一人ずつ1ヶ月にあったことを順番に話すのですが、

M.Tさんの報告で一番印象的だったのは、

在宅介護の頃、毎晩休む前に「足の温浴」をして上げていたと言うことです。

冬の寒い日などは足が温まるとさぞかし気持ちよく眠れただろう、

と聞いていた会員の皆さんも想像できたと思います。

 

 

 

介護に順風満帆はありません。ナギの日も嵐の日もあります。

そして必ず最期の時が来ます。

最期の3日間ベッドサイドに長時間寄り添うことができ、

その体験から、「認知症の患者は何も分からなくなり、反応もなくなる」と言う事はない、

「最後まで自分のことは分かっている、人としての尊厳は保っている」

と言う考察には教えられました。 

 

合掌。