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NO13-5『11年余の航海はとうとう港に着き私たちは下船した』

被介護者 義母 93歳 介護度3      介護者 嫁 64歳 

ほほえみ丸に乗船して11年半過ぎた3月6日静かに船は港に着きました。

去年の秋ぐらいから食事の量も減り、ベッドで横になっている時間が多くなってきました。
去年の1月8日の誕生日には洋ランセンターに私達3人とスタッフの方と一緒に行きバイキングを
美味しそうに食べていましたが、今年の93歳の誕生日では外出は無理な状態でした。

 


でも、介助してもらいながらトイレや食事、歯磨きは自分でやっていたので、

よろけて顔面から転倒したり、ベッドに腕がさわっただけで皮膚が剥離したり目が離せなくなってきました。
スタッフの方々は最後まで布パンツをはかせトイレ誘導をしてくれたり本当に良く面倒を看てくれました。

 


今年に入りほほえみの会で勉強した、ターミナルケアーついて、主人の兄妹3人で主治医の先生と
ホーム側に延命はしません、自然体で最後までホームでお願いしたい、と話合った事も良かったと
思います。

 


食事の時間が掛かるからと他の人が済んでから、義母だけをゆっくり食べさせてくれていました。
6日の日も遅い朝食を済ませベッドに横になり一度覗いた時は良く寝ていたそうです。
二度目に昼食の為、声がけに行った時亡くなっていたそうです。
苦しむ事無く静かに旅立ちました。 午後1時56分死去でした。

 


今年に入り時々お昼を食べさせに行っていたのでホームから電話をもらった時信じられませんでした。

 


グループホームに入居して7年半の間肺炎で一度入院しただけで、その後も入退院をくり返す事無く
最後まで自分の口から食べ、義父の最後お世話になったこのホームの同じ部屋で天寿を全うしたのです。

 


介護は突然始まり、突然終わると良く聞きますが、

私の場合もいずれ同居をしなくてはと思っていましたが、

主人の転勤を機に先に一人で三島に来て認知症の両親との暮らしが始まり戸惑う事ばかりでした。

 


身体介護、暴言の義父の介護、施設探しに奔走しました。その義父は平成18年に亡くなりました。
義母も今年に入り老衰が進んでいるとは思っていましたが、

ホームから突然「お亡くなりになりました」の電話で私の12年半の介護は終わりました。

 


義母の葬儀の日は風も無く春の暖かい陽気でした。
義母の生まれた田京の土で育った河津桜を親戚の人が持ってきてくれ棺の中に入れました。
桜に包まれた義母の顔がとても綺麗でした。

 


義父が亡くなった後の兄弟の確執も義母の葬儀が仲直りをさせてくれました。
グループホームのスタッフの方々やほほえみの仲間が沢山見送りにきてくれました。

 


通夜、葬儀の済んだ10日の朝、義母が夢枕に立ちました。

笑い顔で洋服の色も覚えています。
友達が「お礼を言いに来たんだよ」と言ってくれました。
身近な人が亡くなって夢枕に立ったのは始めてでした。

 


これで本当に長い介護が終わったと思いました。

 


義母には義母に合ったグループホームが選べ、ホームのスタッフの介護のお陰で静かに
最後を迎えられたので、義父の時とは違い余り後悔はありません。

 


本当に長い間、先生、ほほえみの皆さん(先輩も含め)ありがとうございました。           
これから益々ほほえみの輪が広がって行くことを願い、私もお手伝いさせて頂きます。