· 

NO6-3 ほほえみ丸に乗船して5年。義父永眠の顛末。

被介護者 義父90歳 介護4 / 義母86歳 介護2  介護者 嫁 56歳 


5年前ほほえみ丸に乗船した頃から、今日までの事が走馬灯の様に思い出されます。

今年の感想文を書くのはとても辛いです。

義父が平成18年5月19日 90歳で永眠しました。

同居してからの後半、色々あった父でしたが最後は義母の居る、グループホームで、2カ月間一緒に暮らし、

長年連れ添った女房に看取られ、穏やかに息を引き取りました。

父は、去年の暮れ風邪をひいてから食欲が無くなり今年に入っても、

段々ベッドで寝ている事が多くなり「死にたい!」という言葉を聞くようになりました。

体の調子の良いときは、車イスで他の人と一緒にリビングに居ます。

その時は私の名前も言ってくれますが、ベッドで横になって居るときは、

「誰だか分かる?」と言うと「わかんねぇ」と言われがっかりした時もあります。

日常うとうとしていて、食が細い等々は、老衰の兆候ですと先生に言われ、

幸いまだ栄養状態がそんなに悪く無く、ただ日中寝ているのであれば

「お婆さんの居るグループホームで寝かせてあげたい」と夢の様な事をホームの方に言ったら、

オーナーの方からお電話が有り、私と主人と妹の3人でオーナーと話し合いました。

特養の費用も17年の11月より今までの倍以上になっている事や、

家族としたら延命治療よりここで最後をお婆さんと、穏やかに暮らさせたいと話しました。

「第二の我が家だと思って下さい」と言うオーナーのやさしい言葉に

「介護4で自分の事は何も出来ない父ですが、本当にいいんですか?」と何度も聞きました。

本当に夢が叶うんだと3月23日すぐ引越しにとりかかりました。

普通特養に入所した人が、食欲が無くなったら病院に入院するでしょうが、

私達家族はホームの母の元への選択をしました。

ホームから3人迎えに来てくれました。 特養の職員の方が

「Kさん、奥さんの側でイッパイ食べて元気になってね!」と、

入所の方たちと一緒に見送ってくれました。

父は車イスで無表情のままでした。

「これで最後だからね、お婆ちゃんの側へ行くんだよ」と父に言いながら涙が出ました。

グループホームは夫婦でも1部屋づつ部屋をとり、

その1つの部屋にベッドを2つ入れて寝起きを一緒にしていました。

母に「お爺さんは食欲が無くただ一日寝ているんで、今度ここへ来るから面倒看てね」と言ったら

「男の人が来てもいいの?」と聞かれ余り嬉しそうでもなかったが、

次の日は車イスを押して食堂に来て、スプーンで食べさせたり「もっと食べなきゃダメ!」

と声掛けをしたり、その様子を写真で見せられ、昨日までベッドに横になって無表情だった人とは別人のようでした。

私が行った時も母がガミガミ言うので父が「うるさい!」と大きな声を出していたので、

久し振りにこんな大きな声を聞いてビックリしました。

父の顔の表情も変わり、妻の働き掛けが夫をこんなふうに変えるんだと一緒にした事を本当に良かったと思いました。

2カ月の間には、外食に出かけたり、近くの公園に散歩にいったりしたそうです。

でも老衰の症状はやっぱり有り、うとうと寝ている事は多くなり

私達が行くと母が「私が話しかけてもお父さんいつも寝ているヨ、マッタクつまんないさ」と

枕元でガミガミ言ってました。

 


5月に入りベッドで横になって居る時間が多くなると、

母は今までのように文句を言わず心配そうにベッドの側に居る事が多くなったそうです。

それでも毎週末の様に甥っ子や姪っ子、私の子供達が来てくれると車イスに座り元気そうに

一人づつ名前を言ったり、今はほとんど「いらない」っと食べない甘いものを

少し食べたり元気の様子を見せていました。

 


5月半ば医師から「栄養状態が良くない」と言われたのでもうそう長くはないかなと思いましたが、

こんなに急にとは思いませんでした。

19日の昼前ホームより「朝嘔吐が有り、熱が出ているので、午後2時先生が見えますので

これからの事を家族も一緒に相談しましょう」と電話が有り、

私もいよいよ病院で点滴をするようになるのかしら?と思っていました。

主人と妹と私がホームへ向かっている途中父は亡くなりました。

誰もがこんなに急にと信じられませんでした。

最後は父と母で目と目を見つめあい父が母に「ありがとう」と言って涙を流していたそうです。

苦しむことも無く穏やかな最期だったそうです。

長く薬を飲んでいたり、点滴をしていないので、その後も綺麗な顔をしていました。

 


告別式にはホームの人が付き添ってくれ母も参列しました。

母は父の最期を一人で看取り私達が入っていった時「お父さんが死んだ!」と

あんなに泣いていたのに忘れている時も有り、父の死を理解しているのか、

いないのかこれが認知症なんだとつくづく思いました。

母は父の看病が終わったので家に帰ると、私達の後追いをしましたが、

今では元の母に戻り元気にホームの生活を楽しんで居るようです。

 


義父が亡くなり気持ちの整理が出来ていない6月11日に私の実母が89歳で亡くなりました。

腎臓が悪く一日置きに透析をするために入院をしていました。

母も急だったので亡くなる時には間にあいませんでした。

私には3人いた年寄りが義母一人になりました。この2人の分も長生きしてもらおうと思っています。

 


私達の様にホーム、施設を利用してきた者の最期について今回は凄く考えさせられました。

高齢の自然の流れに任せると兄弟が同じ考えだったので良かったです。

私も悲しんでばかりいられません、娘のお産のお手伝いに市川の方に行かなくてはなりません。

亡くなる人がいて新しい命が生まれる・・・本当に平成18年は色々ありました。

私の介護もまだまだ続きます。これからも、先生、ほほえみの皆さんよろしくおねがいします。