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NO6-4 始まったばかりの介護

被介護者 母 76歳 介護度3  介護者 娘 51歳 


最近、TV や新聞の隅に、介護疲れでうんぬんといった記事が目につきます。

その度に、悲しみと憤りを覚えます。

私とて二年程前までだったら、やむなく起こってしまった悲劇だと、

まるで他人事の様に、見ていたに違いありません。

数年前「お父さん、あんな事しないでよ。」と言った記憶があります。

事件になってしまう紙一重の裏に、予備軍が沢山控えている事を、

行政の方はもっと、認識しておいてほしいと思わずにはいられません。

 


昨年の年が明けた一月の終わり、突然、実父が他界しました。

それも、認知症も進んでいた母と二人暮らしで、誰にも看取られずに一人でいってしまったのです。



飲酒の量も増えていた父が、寒い夜、風呂で心臓にきて、両手を強く握りしめて浮かんでいたそうです。

一緒にいた母は、朝まで気づかず、うっすら残った記憶の中に

「何度も、お父さんが布団にいないので玄関の外に出て捜していた。」とは言うのですが、

きっと、そうしているうちに又、父のいない事も忘れて、自分の布団に戻っていったんだと思います。

 


母の病気も症状がでてきたのが、十年程前になるでしょうか。

何度も同じ事を繰り返し聞くようになったのが、周りの人がおかしい?と気づき始めた最初です。

病院にも連れて行ったり、一番近くにいる妹が時々、顔をのぞかせ、

父にはできない用事をしている状態でした。

長男は遠くにいるので盆、正月しか帰って来ないし、

父も、本当の大変さは、決して口にする事はありませんでした。

 


私自身、一人身で、仕事、生活にかまけ、実家に足を運ぶのも遠のいていました。

父がいるからと、病気の進んで来た母を見るのが嫌なのもあって、逃げていたのです。

 

 


そんな後ろめたさもあったのか、又、母が、そこまではという安易な気持ちで、父の他界以後、
簡単に私が母と同居すると言い切ってしまいました。
親戚 や近所の人達も、口を揃えてそれが一番いいよと言うのです。



私もこれで良かったんだ、私の事でも心配を掛けた母にも親孝行ができると、

最初の二ヶ月位 は満足していました。
もちろん、母の言動、行動については、私の予想外でしたが、まだ辛抱できました。
どんな事があっても、この人は病気なんだから、病気がそうさせているんだと、自分を励ましてきました。

 




いつ頃からだったでしょう。毎日毎日、色々な事をしでかしてくれる母に嫌気どころか、
生理的な嫌悪感まで覚えるようになってきたのです。
母の病気も確実に進んでいました。

徘徊、暴言、作り話、いかもの食いetc,もうこの人は母ではない。
醜いものでも見るように、食事をむさぼっている母を横目で見ながら、情けなくて涙が出て来ました。



 


母の食後の食器も汚い物でも洗うように、必要以上に洗剤をつけ、ゴシゴシ研き、
母の使った後のトイレや洗面所もその度に隅々まで消毒しました。

 


その時に鏡に写った自分の顔にびっくりしました。醜いのは私の方だ。
母に対する罪悪感と、私もいつかはこうなるのかしらという不安の入り混じったすごい形相でした。
「誰のせいで!」とぼやきながら、無理に笑顔を作ってみたものの、消えません。


一人ではかかえきれず、弟妹に助けを求めても、どんなに愚痴っても、増々ストレスになるだけで、
話さなければ良かったと何度も後悔しました。
毎日が母と自分との二人の生活。友人に話しても「頑張ってね」の言葉だけで何の解決にもなりません。



 

 


介護の勉強をした訳でもなく、本や情報誌などでかじった知識だけでしたが、自分なりに一生懸命、
母に接してきたつもりです。それでも私にも感情がありますから、母をしかったり、
なげやりになった事もあります。

それをことごとく弟妹、親類にまで否定され、
「もっと優しく接してあげなくちゃ。」とか、「母に出きる事があったら、
そばで見守ってあげながらやらせてみてよ。」とか、こんなに病気が進んだのも私のせいみたいに
言われ、あげくに「お姉ちゃんが母をみると言ったんだから、もう少し責任もってみてやってよ。
私たちには受験を控えた子供もいるし、仕事も大変なんだから。」などと、悪魔のようなことばを並べて来るのです。

 




この生活がいつまで続くんだろう。どうして私だけがと、確実に自分がおかしくなっていくのがわかる程、

参っている時、母の病院の先生から、ほほえみの会を紹介されました。


グループホームも考えていた時でしたが勉強不足。

ケアマネージャーにも相談していたのですが、弟に「もう根をあげて施設に入れてしまうのか。」とも

言われ迷っていました。他人は無責任です。
母と私が一番幸せになる方法は、又、それを選択するのは介護する側にあると思いました。



とにかく、今の私の精神状態をなんとかしなければと、人の中に入っていくのが苦手な私でしたが
おもいきって会に出席させていただきました。
介護とは程遠い母と私の生活ですが、もしかしたら、今の状態から救われるものがあるかもしれない、
同じ家族を持ったベテランの人達の集まりだから、きっと教わる事もあるだろう位の気持ちでした。


初めての私を温かく迎えてくださいました。
私の言葉少ない話(愚痴)に、ご自分のほうがもっと大変なのに、本当に親身になって耳を傾け、
うなづいて、全部受けとめてくださいました。あの時の事は今でも忘れません。


何一つ「それは違う。」とか否定するのではなく、共通の問題をかかえている人達の言葉ですから、
その人達から「それは大変だね。」の一言が私を救ってくれました。


どんなに頑張っても認めてもらえず、理解もしてもらえず、自分自身までも否定されてばかり
でしたから、その一言だけで、今まで張りつめていた感情、意地を張って力をいれていた
足腰がくだけていく様でした。
乾ききった上に、たっぷりの水をかけてもらった感じです。


私は、ずっと、この言葉を待っていたんだと気付きました。
そしてやっと、自分の存在を認めてくれる人達に出会えたと感じました。

 毎回、出席したいのですが、時々邪魔が入ります。でも私の様に悩んでいる人が一人でも多く、
この様な会に入られたらいいのにと思わずにいられません。


私自身、あのままだったら、とっくに母を捨てて逃げていたか、自分の方が病気になっていたに
違いありません。

今でも、ショートステイ、デイサービスを利用する以外、母との生活の一日が、
戦争の様な、我慢大会の様な、ストレス充電日が続いていますが、ほほえみの会に入れていただく前
より、私は強くなりました。
なんとかなるさと、前向きになっている自分がいます。

いつまで続くのか。
先生のおっしゃった、介護は突然始まって、突然終わるというお話を思い出します。



今の母に、こんな事をしてあげても、彼女に少しでも思い出として残るものがあるだろうかと、
空しく思いながらも、母の好きだった料理を作り、きれいな花畑を見に行き、買い物に連れてってあげ、

きれいにお化粧してあげながら、ため息をつき、自己満足をしている私です。